KAWAGOE MACHINE BEAT | |
|
[0〜20歳] 3600gの当時としては大きめな赤子、帝王切開で産まれる。 ゴレンジャーが大好きな幼稚園児。 小学生の頃、ヴァン・ゲリスの音楽を聴き、シンセサイザーの魅力と可能性に目覚める。 YMO出演のTVCMを観て、テクノポップの存在を知る。 FENのAmericanTop40を毎週欠かさず聴くうちにハワード・ジョーンズの音に出会い、シンセサイザーの購入を決心。 しかし中学生に高価なシンセサイザーを買えるはずもなく、血迷ったあげくBOSS DR110を購入。ドラムマシンの魅力にハマる。 先輩の指示で、強制的にベースを経験。 先輩にRoland SH-101を譲り受け、ようやくシンセサイザーとの熱愛を叶える。 中学生にしては実験的な音を追求したため、バンドメンバーは集まらず、仕方なく1人で曲を作るも、聴かせられた友人達は困惑。針圧をわざと狂わせ、偶発的なレコードのループとドラムマシン、シンセサイザーのミニマルリフで、独り悦に入っているヘンな中学生。 高校入学祝い金をすべて使いKORG DS-8とYAMAHA RX-17を購入。ようやく仲間とバンドを作る、ボーカル兼キーボードを担当。 鍵盤弾きがいつまでも上達せず、手弾きでの演奏と決別する。MIDI接続でドラムマシンからシンセサイザーの音を走らせる。シーケンサーは高すぎて買えなかった。 テクノ、ハウスの存在を知る。808STATEのエモーショナルな美しさに惹かれる。 「これこそアンビエントテクノ」などと言って、ブライアン・イーノのアンビエント作品にダンサブルなビートを重ねただけのものを作る。 突如、パンクへ傾倒。若気の至り、反抗期。ボンデージパンツ、編上げブーツ、安全ピン、ボロボロシャツ、ツンツンヘアが世の中への反抗の証。近隣住民の白い目。 同時期、エレクトロニックボディミュージックとの運命的な出会い。 NITZER EBB、FRONT242、SKINNY PUPPY、MINISTRYなどを好んで聴く。西新宿界隈のレコードショップが第二の故郷と化す。 流れ流れて、メジャーデビューもした某バンドのヘアメーク兼ローディーとなる。世はバンドブーム、ホコ天ブーム。某バンドがホコ天での演奏休憩時に、ひとり狂ったようなノイズを発する。某バンド目当てのグルーピーや観客はドン引き。 某バンドメジャーデビューの際にライブ中に発炎筒を放った上、殴り合いをして決別。メジャーに浮かれる姿がなぜか許せなかったという幼稚な理由。 [20〜現在] クラブ初体験。駒沢の某小箱。なぜかソウル、レアグルーヴ。 恵比寿・みるくへ足繁く通う。ロックも好物。 遅まきながらジーザス&メリーチェインとの運命の出会い。フィードバックノイズの陶酔、美メロにハマる毎日。 クラブ活動の拠点を表参道・青山界隈に移す。 表参道OH!GODで食事、Maniac Love、LOOP、蜂をハシゴ、KISSで〆のコーヒーが恒例のパターンと化す。 音源内蔵シーケンサーYAMAHA QY-700にてトラック制作をはじめる。 エレクトロニカ系ユニットentranceとして曲を作り溜める。ユニット名の由来は、sun electricの名曲・entranceに敬意を表して。 インテリアのように自然とそこにある音を目指す日々。 諸事情によりクラブ活動を休止。 諸事情によりクラブ活動を再開。 CDJにてDJをはじめる。CDJからはじめてしまったため、以降ターンテーブルの扱いは不慣れ。 いい歳してロックDJおよび4つ打ちDJをスタートする。 Maniac Love閉店により、テクノを求め彷徨う日々。 埼玉県内のテクノシーンと出会う。 蕨DISCO JAPANにて活動するTechno7、熊谷DOG'S NOSEにて活動するCOLORFUL+との運命的な出会い。 都内ばかりが良いものと思っていた自分を反省。蕨、熊谷におおいに刺激を受ける。 entranceを停止。KAWAGOE MACHINE BEATとなる。 以降、Toshiyuki Saitoを軸に流動的メンバーで作品を作る。 最近になって、自分の作る曲のジャンルを知る。それほどまでにジャンルには疎い、がしかし良く言えば自由な音づくり。 テックハウスって何者?? |